メランコリーMélancolie小論

 ■メランコリーMélancolie小論-谷脇女史のヴォーカルを参考にして
ふてぶてしく口をあけないでいい声出せるな、という印象。いい声である。メロンコリー(憂鬱)を歌うに適した怨世的な暗い声。酒に溺れ、失恋を引きずっている女の歌だから元気溌剌では困るが、弱々しいだけではない強い情念の迸る瞬時があっていい。その意味でも強いのはいいが、喉を広げぱなしの大声はいけない。エコーもまだ絞っていい。逆に刃を突きたてるように一気にいきたいのが《こいびとも》の部分。同じメロディーが二度つづいた後の、文でいえば起承→転。(高音がつづく)新たな局面の頭が「ソ」では刃にならないと見てか、越路も松尾和子もオクターブ上の「レ」から入っている。《こいびとも(略)いらぬ》とつづく、自棄というか情念の迸りにつながるところだからこの崩しは理に適っている。(ジャクリーヌ・フランソワは譜面のまま) 最後にもう一つ、彼女には色気がない。色は上等のものを資質として持っているが、表現力としての色気をこれから学ぶべし。ただし色気は二番目、三番目の仕上げ塗装であり、聴く人の耳にはシャンソンか、ただの自己陶酔かの区別はつく。良くないことばかり論ったが、声がいいのと、音が低めのビブラートは美しい。
 すでに四年たった、2015-5.27 投稿の作品である。今頃は私の見つけた原石も誰かの手で磨かれているかも知れない、とも思いながら。 
   

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