心ここに有らず

となりの女が嘆いて云うには、亭主がごみになったそうである。
ごみ拾いではなく、自身がごみになったのである。
所得、肩書、愛人の数においても私を圧倒していた彼が
嘱託を退いてからは一日何もせずごろごろしてるというのだ。
耳寄りの情報に、暫し優越感にひたった。
自分はごみにならない自信があった。
なれない、といったほうが正しいかもしれない。
拙宅には私が鼠のごとく動き回ることで餓死を免れている女がいた。
彼女は七つの病を抱えて通院している。
重病だが、絶えずからだを診られているので私より永く生きられるはず。
私はもともと生への執着心が乏しい。
先日も久々に乗った電車で目を疑ったことがあった。
静かだから目に付いたのだが、斜向かいに五、六名の学生がすわっていた。
皆が皆俯いて黙々とスマホを触っている。
一人くらい何もしないで窓の外に目をやってる子がいてもよかったのだが。
こんな魅力のないコピー製品のような子らが
年を経た世に自分も生きる退屈さを思った。
ところで、妻は貧乏をしたことがない。
いとはんと呼ばれて谷町で育った女は皿を洗う時、水を出しながら泡を立てる。
泡と水がもったいないので私が厨房に立つことにした。
彼女は洗濯とテレビ観戦に専念させる。
一反の畑もあって結構忙しかった。
一年前の話である。

スルコトガナイ。

この奇妙な日本語を発信したのも私である。
することがない、とは実に情緒的な語彙である。
米を研ぎ、献立を考え、マーケット、野菜の研究、歌…
財布のひもまで握っていた私が暇であるとしたら、

それは心の問題というしかない。
一年の間に何があったのか。
トマトから撤退しただけで窓際族のような声色(こわいろ)をだし、
移住できないという哀しい出来事まで重なったとはいえ、
時計の針はこうも簡単に止まるものか。
>過疎の町は時計の針もゆっくり回るようです。
私が揶揄したのは吉野町の対応の遅れについてだったが、
携帯の着信音が一か月も鳴らない、
心の振子が止まったままの私こそ過疎の村ではないか。
ベランダに幾つかのプランターを並べただけでは忙しくはならず、
令和の声を聴いても瞬き一つせず、口角も上がらず、
口角が上がらないにしては立派な「夜のタンゴ」が
静かな私邸に一日中ながれている。
 

トマトは一に美しくあるべし。
二に出荷数。味
は評価の基準にならないという不思議な世界。私のトマトが1ケース千円を超えたのは仲買人への《施肥》が効いていた初年度のみ、以降右肩下がりに価格を下げていった。なにか不透明な力が働いてるような価格の下がり方に嫌気がさし、商いとしての農からの撤退を決めた。卸市場とケンカしたって敵いっこない。市場への不信感がでてきたら業界では生きていけないのだ。資金や援助があっても、詐欺紛いのハウストマトを作るつもりはない。暮れには畑を返却した。が、返せないものもあった。土への郷愁のようなものがそれだ。
地方へ行きたいと思った。
砂の女」を読み返して、仁木順平が昆虫のように嵌められた砂丘に想いをはせる。砂丘がいいのではなく、過疎地なら自分のようなものでも必要としてくれるイメージがあった。私がもう少し若ければその考えも誤りではなかっただろう。取り寄せたパンフレットが誘っているのは私のような枯れた男ではなかった。枯木には生殖能力がない。穴に嵌めても私では肥やしにもならないのだろう。過疎の町の優しくはない本音に触れてなお地方を歩いてみる脚は残っているか。大阪を離れたことがない女はどうする。朗らかだけがとりえの赤子のような女よ、君は今日も大邸宅の下女のようにリズムを取りながら、私が歌ったタンゴ の名曲 を自分でも口ずさむ。人々もまたその歌が一昨日録音されたものだと知って慌てて樹木医を呼ぶことを中止する。死にかけたやつがこんな良い声をだすはずがない、と。こうして私の叫びはだれにも届かず、捲り遅れたカレンダーほども顧みられることはなかったのである。

私はまだ枯れてはいない。
私が枯れてきたら妻は
喜ぶだろう。私の方が先に車椅子に乗ることになっても喜ぶだろう。診療も儘ならない僻地で暮らす不安を思えば、私の介護など苦労の内に入らないのかも知れない。ただ、久しく引越のことを言わないから御機嫌だが、今動くのは損だから静観してるだけで、コーナンから何袋土を購入したから、大工を始めたから移住を諦めたと考えるのはいかがなものか。農における醍醐味は土を耕すことと私は考えている。ひたい汗せず、耕さずしてどこに喜びがあるだろう。プランターでは私の想いは入りきらない。ほんとうの土の匂いを嗅ぎたい。
農への熱いこころざしを語った塾を出て七年、七年が七十年に思える程モチベーションの低下した現在でも、思いはまだ残している。自分が食べるだけの米を作って、自分たちだけの為に生きるという非生産的であるがゆえに私が一番嫌った生きざまだったが、すぐそこまで意地汚い笑みを浮かべて私を迎えに来ている。賢弟は私に迷走するな、静かに死んでくれと言った。瞑想はしないと答えたら、そっちの瞑想じゃないと哂わないで言った。また或る人からは水耕栽培をやって一株に一万個のトマトをつけてみろと哂って言われた。
一株に一万個のトマトをつけて町の著名人になるよりも、やはり私は土の匂いが忘れられない。(完)