力作二本、ご苦労様です。
てめえかてトマトを摘果するだろう、それも青いうちからだ。
倒置法を使うことでことばに切れが出るんですね。豚を扱う人と 本当に喧嘩したの?
四十七日目に入りました。いまだに私は空き家コンシェルジュ吉野事務所のK氏からTELがあるのを待ちつづけています。青年ではない私が、過疎の町吉野で歓迎されない事情はわかっているつもりです。しかし、嘘をついてまで転入を拒む正当性がK氏や、町側にあるのでしょうか。
Y-03物件について氏と初めて話をしたのは九月二十一日です。書類に捺印、スキャンしてメールで送っています。些細な個人情報でも私が若くないのはわかりますが、感触も良く、町を訪れるとき原本を忘れないようにと言ってくれました。もう一つ、これが後々動かぬ証拠となるのですが、所有者に私の事を話したと言っています。私の事を言ったのなら、「いや、先約がいるんだよK君」といった展開になるはずです。そうならないのは二週間後に氏が出してくる、所有者側に先約がいた云々の情報が捏造だったことを意味します。
Kという相談員がここまで汚い男だとは分からなかったように、氏もまた私を見縊っていたのでしょう。兵庫県の宍粟市なら二日で届く書類が、二週間もかかっては私でなくても不審に思います。同じ日(10.4)にTELもありましたが、すでに氏は二週前に原本を忘れるなと言ってくれた人ではありませんでした。田舎暮らしといっても私が考える程甘くはないと言い、執拗に翻意を迫るのです。Y-03というのは畑付きの一軒家です。家賃は一万五千円です。外観も良いので残っていたのが不思議なくらいでした。町の活性化に貢献してくれそうな若い男女が氏を捏造へと導いていったのでしょうか。
一昨日からの氏のボディブローがかなり効いていましたが、10.6のTEL内容が、①先約がいた②その人が交渉する気があるかどうか確認をとる、だったことはよく覚えています。氏は所有者の代理人です。代理人と喧嘩しても勝てません。写真も残していますし、国栖(くず)を一日歩けば家も見つかるでしょうが、そうまでして氏の嘘を立証できたところで何が得られるでしょう。私に脈がないのはわかっています。それでもTEL を待ちつづけます。確認を取る、と言ってそれが最後になった日から数えても一か月。私が止(とど)めを刺されないのは氏が優しいからではなく、白々しい嘘を何遍もつくことへの羞恥心が働いている為と思われます。
ばたばたしてて、返事が遅れました。
といった言訳すらできない程に木の葉も美しく色づいてきました。このまま沈黙を貫くことができれば氏は楽でしょうが、吉野のさくらたちはどう思うでしょう。さくらに恥じるような生き方をする人が吉野にいるのですか。代理人としての務めをはたすことです。四十七日の長きに渡り、いまだ消滅していない交渉権を私から取り上げることをはたすと言い、優しさと言います。もう一度言います。何遍でも言います。嘘をついてまで転入を拒む正当性がK氏や、町側にあるのでしょうか。
後記
本文でも触れましたが本文でも触れましたが、登録完了通知書が送られて
くるのに二週間かかっています。 私はこの件でも不審を感じていて、
申請した紙はすぐには総合政策課にいかず、K氏が握っていたのではないか
と思っています。宍粟市でも家探しはしましたが、
同じものが二日で届きました。スタートラインでピストルが鳴るのを
二週間も待たされるようなものといえば比喩が過ぎるでしょうか。
過疎の町は時計の針もゆっくり回るようです。2018-12.17
≫波の音がしてます。k氏からはその後連絡ありました?
≫ マイク録音だと著作権法には触れないみたいですがノイズが酷いです。下がダウンロードした音、こちらは今のところミュートされていません。https://www.youtube.com/watch?v=Vk_hjsVDzJU
≫手記は吉野町の総合企画課と町長宛てに郵送しました。k氏には知らせてないですが、お手紙頂いたそうでとすぐ連絡が入りました。冷静で、上品で、慣れてますね。で、先約とは不調に終わったようです。私に出番が回ってきた訳ですが、私もお断りしました。違う角度から何枚か撮ってきたという写真を一目見て、この四十七日何をやってたんだろうと思いました。そこに写っていたのは別の家でした。いや、Y-03物件ですとk氏はいいますが、どこかその声は哂いを含んでいました。しかし、不誠実とか、写真のトリックというだけでは片づかない問題が写真には潜んでいるような気がします。
≫「別の家」というのを見たかったですね。家の裏側、それも見窄らしい状態で写ってるのは想像できますけど。
≫ 平凡な想像です。見窄らしいのは当たってます。私を愕然とさせたのはその見窄らしい景観が玄関の方から撮られていたからなんです。表が酷くて裏が立派になるような設計をする家主がいてるでしょうか。奇妙な建築です。水商売で夜よりも朝の顔の方が美しいって人いないでしょう。
≫いてますよ。私も化粧しない方が綺麗だってよくいわれます。
≫譬えが良くなかったかな。暖かい日を選んで一度国栖に行ってみます。
≫冬眠してる蛇と、鳥、ヒチコックには気を付けてね、有子。
Y-03物件
平成十五年(推定)頃の「萌叡塾」男一名、女四名。独身。
返信ありがとうございます。卵を自画自賛されますが、おいしすぎるのもどうかという気がします。右の写真でいえば中央を歩いてる細い方、似た人は現在も萌叡塾にいてるようですが。質(たち)、十五年の月日、それとも卵かけ御飯をお代わりするうちに貫禄がついてきたのでしょうか。
「里の通信」を捲っていて気がついたのですが、塾生は顔を載せていませんね。
-老醜を晒すこと控えるべし-
昨今の賑いにも浮かれることなく、気負わず、淡々とすごしておられる様子が伝わってきます。町長がいればですが、村の活性化に貢献したということで金一封の誉(ほまれ)が検討されるでしょう。私だったら断りますが、あなた方は喜んで受け取るでしょう。村には偏屈な人もいます。活性化とは村の良いところを毀すことか、静かな村に帰してくれ、と。町長は笑って答えるかも知れません。俳優の平田満に似た人がいるようだがリーダーかね?言っときなさい。昨日もラジヘリが舞ってたが、無農薬は敵を作る。味方は蛭と蛍だけになるよ、はは…納税頼みますよ。
後記
瀬戸内寂聴は夜な夜なステーキを召しあがるその口で死刑廃止をとなえます。よう豚家が子豚を抱いて目を細めるようなものです。私には理解できない不思議な神経の方々ですと言ったら、よう豚が噛みついてきました。てめえかてトマトを摘果するだろう、それも青いうちからだ、同じだ、と。同じでしょうか。なぜなら私はトマトを食べることで殺生をしたとは思わないからです。食べない方が侮辱だし、畑に放置するのは虐待だと思っています。インゲンを例に取ればわかり易いです。種用に一割程を摘まないで残すのですが、日に日に黄化していくかれらを見るのは辛いです。豚を殺すなと言ってるのではないのです。殺すなら子豚を抱くなと言いたいのです。吐気がします。2018-7.17
通称 ハタさん。
経歴 神戸大卒 元官僚 語学堪能 存命なら80才超か。
豪放磊落 スキンヘッド ルイ・ヴィトンの鞄。
ジャズを歌うのが趣味で週末になると自宅のある姫路から電車で通い 、
大阪のカラオケバーを梯子する日々 。
昭和電子の創設者・故安田氏と息が合い、
氏が経営する十三の店-StudioSDで私とも知り合いになる。
時がながれ…
氏のある発言で亀裂が生じ、私の方から連絡をたった。
というより携帯の時代が来て 、その泡立とともに彼の記憶もtel番号も消えてしまったというべきか。
彼が蘇ったのは私の加齢が原因かもしれない。
或いはシャンソンなどというものに恋をしたせいかも知れない。
いまさら何だと、生きているうちに叱られてみたい。
ミセス・マツヤマという女なら何か知ってるかも知れない。
彼女の代表作の一つ「女の舞」を ラ・バンバ の次にいれておく。
十三でママをしてるという噂も聞くが 、十三だけじゃね。
どちらの情報でもいい、 コメント欄か 090-5130-7300 まで
お願いしたい。
一千万あればですが、ドキュメント「人生フルーツ」のような家宅とたたずまいが私の理想になるでしょうか。移住については私も考えていました。ただ移住を絵にすれば随分あなたとは景色が違うようです。あなたのように辺野古のデモに参加するわけでなし、ひたすら自分のことだけ考えて私は生きています。
妻を亡くした後手に入れた廃屋で、まずやることは夕日の沈むのが見えるところに窓と浴室を作ることでしょうか。ガラスを入れず、板で葺いて横滑りだしにします。その窓から自分の人生が沈んでいくのを、ではなく夕日を見るのです。あなたが沖縄の海は碧いというので微笑しましたが、私も平凡ですね。自分が食べる分だけの米野菜を作る。人に迷惑を掛けないかわりに、貢献もしない、非生産的だと散々こきおろしてきた生き方を私がしているのです。群れることを嫌う一匹狼のこれが末路でしょうか。
景色が違うと言いましたが、私のように自虐的なところがあなたにはない。沖縄にぐっと根を張り、生産的で、一市民として認知されているように見える。それを証明するのが本部(もとぶ)町営市場のこの写真です。写真を撮った方は名カメラマンです。一枚の中にざっと数えて十八、九名の人がいるでしょうか。米粒程から大きいのまで不揃いな體の大きさが遠近感を、無秩序な動きが市らしい雰囲気を醸しています。大柄なあなたが中央に立っていて、小柄な客と同じ目線になるよう體を低くしてドーナツの商品説明をしています。ドーナツ一つ売るのにここまでと思う程の真剣な眼差しもいい。そして最後になりましたが、インスタ映えこそしないが、美しいあなたの前垂れ。偶然とか、運だけではこれだけの写真にはならない。厚労省の広報に載せたいくらいの出来、名づけて「百歳定年」
断っておきますが妻は健在です。絵を描いてみただけです。病気のデパートをしていますから僻地には連れていけない。あなたの方、竜田の家はどう収まりをつけたのでしょうか。妻子を残してきているのなら、一等賞の写真送ってあげて下さい。農をなりわいとする者誰しもが羨む姿そこにありけり。みやづかえをしていた頃は同じ負け組にいて、子会社を転々としていたあなたのどこに厚労省のモデルに抜擢?されるような魅力がかくされていたのでしょう。
平成30年5月14日
昨日の風は忘れよう。
「夕凪の宿」との出会いに感謝しょう。
私は何かあると音楽が駆け込み寺になる。
ネガティブな私が今日まで病気一つしないでこれたのも音楽という主治医がいたから。
トマトの木には可哀想なことをしたが、
「夕凪の宿」との出会いもあり、
向かないと言われてきた私の體にも演歌の血がながれているのを知ることができた。
1990-11-23 喫茶「ひばり」にて収録。写真は映画「挽歌」