水の滔々と流るが如し

R子様。
 私の妻も心房細動など體の至るところに疾患を抱えています。通院は欠かさず、医師の云う通りにしています。しゃっくりが出るので晩餐も一膳のみ、血栓が脳にいかないように加熱した水を一日中飲みます。膵臓に溜まった水はCTで定期的に監視します。脳梗塞、耳鳴り、骨粗鬆症、良いところを探すのが難しいですが、医師と看護師に好かれる少女のような女です。
 少女にも神に召される瞬間がいつの日か訪れます。その瞬間に立ち会わずに済ます一番の方法は自分が先に逝くことですが、私は九つも年下です。しかも7 1歳になるまで小さな病気すらしたことがないのです。困る事がほかにもあります。彼女は船場生まれの元いとはんです。仲の良い姉妹を含めて法事の好きな常識派が畿内にまだ多く生存しています。一族の中に、目を掛けてくれた上司の家に惚気(のろけ)か、お悔みかわからないような手紙を出したのがいると判ったらどうなるでしょう。私が坊主嫌いで、一億あっても葬式などするものかと考えてるのは妻も知りません。
 私の不幸は老いることを知らない美しい女を神から授かったことです。家にいるのが牛の糞のような女だったら別離もどれほどか楽でしょう。妻が分てくれる精神安定剤-ソラナックスなしでは眠れぬようになりました。地下1Fの良き昔には食後の一時(ひととき)にも爆睡できたのが嘘のようです。でも、心と體はリンクしないのでしょうか。眠れないと溢しつゝカラオケバーでは淡谷のり子vrの「夜のタンゴ」「小雨降る径」を歌い、喝采を浴びて帰るのですから。考えてみれば不眠症シャンソンは親戚のようなものですよね。妻のことにはナイーブになる私がいます。人の生き死にを滔々と水流るが如しと云う私もいます。群れを嫌うのも私です。この手紙をフェイスブックあたりに載せてみようかとも考えています。どれも私です。自分には退屈しない自己陶酔者なのです。もうお分かりでしょう、お悔みのようなつまらぬことには一分と我慢できないのです。この手紙も妻に云われて渋々書いています。できたら見せろと云われていますが、すぐ封をして投函します。

 故人は捨て子のように誰からも評価されることのなかった私を拾ってくれた恩人です。その恩に報いたという程ではないが、氏を失脚させようと秘書がこそこそしだした時でも、私は手を握るのを拒みました。この元秘書には氏が亡くなったことを知る資格はないでしょう。地下室で勤務してた幸運な二人のうち一人は既に亡くなっています。あと一人は氏がヒデミネーと呼んでいました。彼女は健診ではいつも優等を取っていましたし、自己管理に秀でたエゴイストですからまだ存命でしょう。痛風で、ことばのキャッチボールしかできない大きな子-故人とよく遊んでいました。少年が天国に召されたことを彼女は知っているでしょうか。R子様、いらぬことばかりで長くなりましたが、これで失礼します。武庫川の水の一滴にならぬよう何時までも元気でいて下さい。     2019-12.17